文明の発展は人間を不幸にするばかりだ

僕は「互いに平等で、共に気遣い合う世界」が好きだ。
優しくて温かい世界が好きだ。

だけど、そんな世界は在りはしない。
有り得る筈がない。

人間は所詮動物で、社会は巨大な猿山でしかない。
上下関係がある。カースト制度がある。
"高い地位"とやらの人が威張る。
"優越的地位"の人が威張る。

上司は偉ぶり、
人気者は好き勝手に放言し、
お客様が、俺は神様だと踏ん反り返る。

社会の縮図と呼ばれる学校では、
子供たちがカーストの中で日々神経をすり減らしている。

相対的に"社会的地位"が低ければ、まるで非人の扱いをされる。
僕はそれが、憎くて憎くて仕方がない。


突然だが、僕は中小企業の息子という分かりやすいポジションに居る。
容姿も褒められることが多いし、身体的にも恵まれている方だ。
妻は真面目で可愛らしい。
クラスメイトたちよりは裕福な家庭で育ったし、
出身大学は国立で、偏差値は70は越えている。

何が言いたいかって、
「偉そうな輩を憎むのはルサンチマンが原因ではない」ということだ。
「僕が奴らを嫌うのは、僕の(甘ったれた)思想が原因だ」ということだ。

僕の本質が人間の本能を嫌っていて、
僕の思想と人間社会は、根本的に反りが合わない、ということだ。


だが、反りが合おうと合わなかろうと関係ない。
世の中の現実として、弱者は淘汰され、強者は肥え太る。

どだい世界は平和なんかじゃない。
ある程度の規模で争わないように合意しているに過ぎない。
交渉するに足る力が無い民族たちは、毎日迫害され、虐殺されている。

人間は動物だ。
だから力を基準にして優劣が生じるのは自然なことだ。
強くなければ殺される。弱ければ抵抗できない。

争わなければならない。競争しなければならない。
どこまで発展したって、競争社会は変わらない。
それが人間の動物としての本能だ。
勝たなければ死んで――殺されてしまうから。

だから発展するほどに、競争はより苛烈となっていく。

 


本当に浅ましい。反吐が出る。

人間を崇高だと思っている輩は狂人だ。
現実を見る眼を持たない、理想郷の住人だ。


発展とは何だろうか。
富国強兵。ごもっともだ。競争力が無ければ、いずれ滅亡する。

だが、それだけか。目指すのは強さだけか。
人間としての、文化的な発展を望まないのか。
殺意ばかり高めて満足か。


僕は馬鹿な夢想家だ。現実を拒絶してばかりいる。
人間の本能を忌み嫌って苦しんでいる。

でも、どうして、こんなに文明が発展しても
優しさだとか、思いやりだとか、
温かいものを"人としての価値"の基準に出来ないのだろうか。
夢想だろうがなんだろうが、悲しいと思わないのだろうか。


資本主義では、"経済的価値"が基準になっている。
おかげで、うわべの印象操作技術が流行して、
デール・カーネギーなんかが、もてはやされたりする。

虚しいことだ。哀しいことだ。

欲望を刺激するための、マーケティングと言う名の興奮剤。
フィリップコトラーは悪魔と呼ばれるべきじゃないのか。

資本主義では、人々の"社会地位"を数値化し、明確にする。
勝ち組と負け組を明らかにする。強者と弱者の線引きをする。

みんなが平等に成功するチャンスを得られると言うが、
所詮は"経済的価値"の選別システムでしかないし、しかも
それが序列に直結している。

こんなものは、人間の動物的本能を強化するだけだ。
猿山を強固にするだけのものだ。

 


人として堕ちるために文明が発展するならば、
我々は地を掘り、煉獄へ突き進んでいるのだろう。