自分の弱さを認める、という言葉の意味

「自分の弱さを認めて、初めて人は成長できる」
多くの人が、このフレーズを耳にしたことがあると思う。
でも人々は、この言葉の意味を正しく理解できているだろうか。

少なくとも、僕自身は理解できていなかったと思う。

 


僕は「自分はダメな奴だ」と認めるから、
「変えなければいけない」と考えて、「成長したい」と思っていた。

……さて、一見すれば正論を述べているように見えるが、
この考えには、欠けているものがある。


『他人に対して弱さを認めること』だ。

 


自分の弱さを認め、成長を求めるところまでは良かった。
でも僕は、その『弱さ』をコンプレックスにしてしまった。
そして「ダメな自分を知られたくない」と考えるようになった。

こうなってしまうと、目的がすり替わってしまう。
『成長』を求めている筈が、『他人からダメだと思われたくない』になる。

言わば、コンプレックスを隠すために、成長を求めている形だ。
しかも、ここには大きな落とし穴がある。
コンプレックスは『成長』では解消できないのだ。


コンプレックスとは、自分に対するイメージである。
例えば、幼少期に「笑顔が不細工」と言われた人は、笑わなくなる。
無表情を保つようになる。人との関わりを避けるようになる。

他の人が「そんなことはない、普通だ」と言ったところで受け入れない。
「自分の笑顔は不細工なんだ」と思い込んでしまっている。
鏡の前で笑顔の練習をしても、綺麗な笑い方を本で調べて研究しても、
コンプレックスが解消されることはない。

コンプレックスを解消するには絶対的な証拠が必要になるのだ。
トップレベルの、100人中100人が肯定できるほどの証拠が。
(ただし、その絶対評価は本人の主観で下される)

容姿にコンプレックスを持つ人は、恐らく整形するだろう。
場合によっては不自然な顔になるまで改造する。
完璧な美人になれるまで、整形を続ける。

 


コンプレックスを『成長』や努力によって解決することは、殆ど不可能だ。
それなのに「何とかしてダメな自分を変えなければ!」と頑張ろうとする。
すると、どうなるだろうか?

絶望するしかなくなるのだ。

後は、取り繕って誤魔化したり、他人に言い訳をしたりするしかない。


色々と努力はしただろうから、事実として『成長』しているのだが、
納得することは出来ない。ダメだと思い込んでいるから。


容姿ならば整形ができるから、一応の解決を図ることは可能だ。
だけど学力は?対人能力は?問題解決スキルは?

打つ手は存在しない。

どうしようもなくなって「自分はダメなヤツなんだ」と
憂鬱な気持ちで沈み込むしかなくなってしまう。

 


自分の弱さを自分自身で認めていようとも、
弱さを恥じて、コンプレックスにしてしまうと、
本当の意味での『成長』はできなくなる。

コンプレックスは、解消されない。
弱さをコンプレックスにしていては、いつまで経っても抜け出せない。

自分の弱さを、シンプルに『自分の弱さ』として他人に対して認めることで
ようやくフラットな状態になれる。


本当の意味での『成長』が始まるのは、そこからだ。