小島一郎の話

新幹線でナタ持って暴れて殺傷事件を起こした犯罪者。
プライドが高く、仕事も続かず、親にも見捨てられ、祖母宅に引きこもり、死にたい死にたいと嘆きながら
そのくせ自殺もしないで社会に大なる迷惑をかけた醜悪で身勝手な男である。
世の中の反応を見ていると「死にたいなら勝手に死ねクズ」が殆どの意見だ。当たりだ。

が、しかし。
だから小島は社会を怨み、誰でもいいから殺したかったのだろう。
徹底的に自分を拒絶する社会に復習するために暴れたかったのだろう。

被害者のことを想えば、小島は憎くて仕方がない悪だ。八つ裂きにしても足りない。僕は自分勝手な気持ちで人を殺した小島一郎を絶対に擁護しない。
だけど小島だけを憎んでいては、また悲劇が繰り返されるのではないだろうか。

何事にも因果関係がある。いきなり結果は生まれない。
「小島がヘタレで甘ったれで頑張らなかったからだ」と言えばそれまでだが、自閉症で、虐められていて、しかも籍を抜くような親元で育ったのだ。まともに生きるには、それこそイチローばりの努力が必要だったのではないだろうか。
よしんば、そこまで膨大な努力が必要でなかったとしても、それは数値化できないし、彼の身上に起こったこと全てを把握して、これまでの苦難を計算することもできない。
けれど大抵の人は言う、「甘えるな」と。「みんな頑張っているんだ」と。「お前だけじゃないのに」と。

僕はこの思考停止が怖い。
こういった物の考え方が、今回みたいな事件に繋がったように思える。

みんな頑張っていて、辛いのは当たり前だけれど、どれほどの痛みか分からないのに、どうして簡単に切り捨てられるのだろう。知ったような顔で「情けない」とか「あいつは馬鹿だ」とか、なぜ平気で言えるのだろう。
だって、あなたたちは何も知らないじゃないか。彼の苦難とか、痛みなんて考えようともしないじゃないか。知りたくもないとか、分かる訳がないとか言って、それで済ますじゃないか。
彼の心が何度折られたかも知らずに、オタク顔だから、気持ち悪いから、仕事も続けられないクズだから、身勝手に人を殺す悪人だから、社会不適合者だから、「だからあいつは犯罪者になったんだ」と言う。
こう言う人たちはたぶん、引きこもりとかニートに対しても同じ論調で馬鹿にするんだろう。社会に出られない脱落者が100万も200万も居る社会をおかしいとは思わずに。自分は立派に生きているからと。江戸時代から変わらず、差別して見下して安堵している。

小島の環境とか、原因は色々あるけれど、社会そのものが、世の中の考え方が、小島を追い詰めていったように僕は思う。
小島の自己否定とかプライドの高さとか、社会への怨みとかは、今の社会の弊害を正に体現していると感じる。形の決まった、イメージ通りで、聞こえの良いものしか受け入れない社会。
そんな社会なんて、そこから漏れる人間が無数に居て当たり前ではないか。
身勝手に人を殺すとまでは至らなくとも、その予備軍を生み出してしまう社会システムになっている。

世の中の人々は、もし本気で平和を希っているのなら、今すぐその考えを改めるべきではないだろうか。また、もし世の中は弱肉強食で負け犬は嘲笑の的でしかないと言うのなら、小島のような手合が増えて、社会はいつか破綻するのではないだろうか。


過去の経緯はどうあれ、小島は社会にとって害悪となってしまった。人を傷付けたし、殺しもした。処罰されねばならない。
ここまで来ると、おそらく人格を修正することも不可能だと思われるので、社会に戻すべきではないと思う。小島は忌むべき悪となった。排除されて然るべきだ。

だけど、小島をただのサンドバッグにして事件を終わらせないでほしい。
犠牲となった方たちのためにも、もっと深いところまで話をしていってほしい。